長兄は「もう数日の命か」と言われているので、先日新潟に見舞いに行ってきました。
もう、十年以上は病んでいます。
私とは15歳離れているので、一緒に遊んだというような交流はありません。
只、父亡き後はこの兄が生計を支えてきてくれたので、父のような怖い存在でした。
私が中学2年生くらいからは、兄の仕事もうまくいきだし、
「高校へ上げてあげるから」と言われましたが、私はもう自立したい一心で
働きながら学ぶ道を選んでしまいました。
誰にも相談せずに決めてしまったような気がします。
わたしの心は、前途への希望と夢で膨れ上がっていました。
いつの間にか、私も成人し、働くようになってからは、兄が怖くなくなり、
兄に対して言いたいことを言うようになり、兄も知らずと私を頼るようになっていました。
若い時は放蕩三昧をした兄でしたが、病気をしてからの兄は幼子のようにかわいくなっていました。
私が帰省すると、にこにこと良い顔になり、帰る時はよく涙を流していました。
兄は十年以上も病む必要があったのだなと思っています。
今世でやったことの落とし前をつけて、きれいになって旅立ちたいと魂は思っていて、
もう年貢は収め終わったのでしょう。
母がよく、「マモルは幼児の時、誰にあってもニコニコと笑顔がよくて、祖母は自慢だった」と話してくれていましたが
わたしはそこに兄の本質を見る思いがしていました。
病床で兄の手をにぎりながら、兄に「育ててくれてありがとう!」というと涙が溢れてきました。
そうしたら、眠っていたはずの兄が目を開けました。わたしの思いを受け取ってくれたのでしょう。
今は平静な気持ちで兄を見送れそうです。
列車から見る山々はまだ、深い雪の中にありましたが、それゆえ一層清冽さが増していました。
兄の魂は、今頃は肉体を出たり入ったりして、旅路の準備をしていることでしょう。
私の見る山々を一緒に眺めているのかもしれないと思いました。
