長女の姉がこの12月に、そそくさと故郷へ旅立っていきました。
今年の夏位から入院し、あっけない最後でした。
つくづくと兄弟、親子、夫婦と近い関係は、縁が深いことを、改めて感じました。
16才から21才くらいまで、私は姉のところに居候をさせてもらっていました。
狭い社宅だったのに、姉も義兄も新潟で新しく商売を始めるまで、快く私をおいてくれました。
それから、わたしは大学を出て、愛知県で働いていましたが事あるごとに、姉の家に帰っていました。
交流はずーと続いていましたが、姉がある宗教に入ってからは疎遠になっていました。
真面目な姉はとても熱心にその宗教をやっていて、会う度に入るように説得するので、
ついつい足が遠のいていました。
でも、姉と冠婚葬祭等で会うと、不思議にも涙が流れるのでした。
その姉が今回入院したのを機に甥が姉の家を掃除しに行くというので、姉の許可を得て便乗しました。
それを契機に姉との仲は昔のままの姉妹に戻りました。
姉は殊のほか、わたしが行くのを待っていてくれました。
10月には、「会いに来てくれない?」と電話をしてくれたりしたので、すぐ駆け付けました。
その帰省中は、昔、同居していたころの姉妹に完全に戻っていました。
思い出話に花が咲いたり、父と姉との意外な交流を聞いたり、病院の催しのバザーに行って買い物をしたり、楽しいものでした。
退院したら、帰省して、姉が一人で暮らせるように色々手配をしようと思っていました。
正月に帰省したら、退院の準備ができるかなくらいに思っていました。
11月の半ば過ぎ、姉に電話をすると、「私、もう、だめかもしれない」と言うのですが、真に受けていませんでした。
その後、尋ねた甥の報告でも、「良くない」と聞いていましたが、本当に悪いとはその時も思っていませんでした。
でもその頃から、2週間過ぎ位に、姉は潔く、旅だったのでした。
もう一度、姉と話がしたかった。色々してあげたかったと悔いが残りました。
そして、もっと姉に寛容に心を開いていれば、もっと交流ができていたのに・・と悔やまれました。
でも、最後の半年位で、昔の私達に戻れたことは、神様のお計らいとしか思えません。
そして亡くなって、どれほど姉を愛していたかを思い知らされました。
深い縁を頂いていたことを自覚しました。
亡骸に向かって、ホオ・ポノポノの「ありがとう!ごめんなさい!許して下さい!愛しています」
この祈りを姉に捧げることしかできませんでした。
でも、やっとこれが書ける位に、心は平静さを取り戻しました。
今の姉は呼びかければ、いつでも笑顔で傍にいてくれます。
新年を爽やかな心で迎えられそうです!
今年ご縁を頂いたすべての皆様に心から感謝申し上げます!
皆様が幸せでありますように!
来年が良い年になりますように!
