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「死後の世界50人の証言」という本を読んだ!

2021年12月31日

そこには、「臨死体験」ではないけれど、ある強烈な体験をされた方の話しが載っていました。

その方は、ある時、頭も身体も働かなくなり、のたうち回るような生活を2年に渡って体験したというのです。何ということでしょうか。次のようにありました。

「小さな子供や綺麗な女性が、牢屋に入れられ、生きたまま手足をもがれ、身体を焼かれたり、この世では有り得ない状態だった。それらが行われていた世界の中に私はいたのです。
私は、その暗闇の中で、酷い苦痛を味わい、私自身も残酷な世界にいて実体験と同じような思いをしました」

そしてその時に、暗闇の中にいて、ある気付きを得ます。それは
「その暗闇の果てに、光ではありませんが、闇と光は同じであるという感覚に襲われました。
それを体験してから徐々に身体が回復し、好き嫌いの気持ちがなくなり、気功の先生からは《人が好きでたまらない》というオーラが出ている」と言われるようになるのでした。

善、悪には違いかないことを都留晃一さんは仰っていて、それを受け入れてはいましたが、心底は理解できていませんでした。
「何故だろう、何を根拠にそんなことを言い切れるのだろうか」と漠然と思っていました。
しかし、この方の次の文章を読んでそれが少し分かりかけたように思いました。

「初めて闇と光とは同じものだと書きましたが、それは宇宙エネルギーの繋がりの中で、闇と呼ばれたり、光と呼ばれたりするもので、同じものなのです。そのようなものを私は絶望の一番深いところで感じました。」
「その中で宇宙エネルギーの振動を感じ、それが愛だと感じることができてから、人の好き嫌いもなくなりました。私がゼロになったゆえに、何もない状態になったがゆえに、根源的なエネルギー同士が共鳴しあったのだと思います」

この方の2年間に渡る凝縮した苦しみの体験は、あのイエス・キリストの十字架の苦しみを思わせます。人類の罪の贖いとしての十字架に匹敵するような!

この方が感じた苦しみの世界は、我々人類が歩んできた悠久の歴史の中で、人類が演じてきた二元性の世界そのものだったのではないでしょうか。残虐な出来事は過去の歴史においても、現在も枚挙に暇がありません。
つまり、この二元性の世界こそがそれらの苦しみの元凶といえなくはありません。
しかし、この方の話しから、その二元性の中での光明は、闇も光も一なるものであるというそのことにあるように思います。
この宇宙がそのようなものでできているならば、善悪、好悪、好き嫌いと断罪し、分け隔てることに何の意味があるでしょうか。
そろそろ私たちは、二元性の呪縛から解放されて、愛と平和なる世界へとシフトして行っていいのではないでしょうか。

しかし、まだ二元性の囚われの生活は続くことでしょう。人類がこの二元性の全て、その空しさを十分に味わい尽くすまで。
そして目覚めつつある人たちは二元性の呪縛の中にあることをただ意識しつつ、己を客観的に見て行くことでしょう。この日常を慎ましく生きていきながら。

もう2021年が暮れようとしています。思いを新たに生きていきたいと思います。

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